BeDesignFPGA、組込システムハードウェア全般の受託開発

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最近CAD以外全く言わなくなりましたが、「Computer Aided + 何か」という言葉が、1980年代後半あたりから数多く登場しました。
元々CADという言葉は、コンピュータを使ったドラフタ程度の意味合いで当時から使われていましたが、Computer Aided Draftingではなく、Computer Aided Designを指します。(日本語の「ドラフター」は、武藤工業の登録商標です。メーカでも多くの機構デザインエンジニアが愛用していたはずです)
設計開発支援を目的とした、コンピュータの手法がCAE(EはEngineering)です。製造支援はCAM(MはManufacturing)と呼ばれます。CAEでも電子系の特にハードウェア設計を目的としたものがCAEE(EEはElectronic Engineering)、ソフトウェア設計を目的としたものがCASE(SEはSoftware Engineering)と呼ばれました。
今ではEDA(Electronic Design Automation)という言葉に置き換わっています。

1980年代後半、私が居た会社の部署では、DASHという回路図CADを使用していました。
後にFutureNetという名称になり別のCADベンダに吸収されたようですが、Wikipediaを辿ってもヒットしません。FutureNetは、Xilinxの開発ツール群の中で回路図入力のフロントエンドとして組み込まれていた時期もありました。当時のXilinxのデバイスは、FPGAではなくてLCA(Logic Cell Array)と呼ばれていました。
私の部署のDASHは、年代物のIBM PC/XT上で動いていました。DOS時代のPCなので、マウスI/Fの拡張基板とビデオボードをISAバスに挿していました。ビデオボードはCGA(Color Graphics Adapter)だったのかも知れませんが、CRTがグリーンのモノクロームで、DASHにもカラーの機能ははありませんでした。これらとA3ペンプロッタで全システムです。後にLCA開発ツール導入のため、AST社のPC/ATクローンも使っています。当時は台湾のATクローン全盛で、Acerが今でも健在ですが、AST含めほとんどのクローンメーカは消え去りました。
当時、私が仕事で使うPCは、PC/XTとATクローンのみでした。その習慣から、今でもJP配列のキーボードはうまく扱えません。

DASHは、回路図の製図のためだけではなく、5インチFDDにネットリストをコピーしてPCBアートワーク屋さんに提出する用途に使っていました。むしろそちらが重要です。Draftingではなく、Engineeringを重視していたのです。
当時の課題は、ロジカルバグやシグナルインティグリティの問題による基板改版の多さでした。部署のマネージャが一念発起し、シミュレーションが可能なCAEEの導入を宣言しました。私は調査の主担当として、各CAEベンダのデモ見学をセットアップしました。
国内では、図研がアートワーク向けCAEベンダとして有名でしたが、ロジックシミュレータはありません。Cadence Design SystemsMentor Graphics、Valid Logic System(後にCadenceに吸収合併)の三社に絞られ、最終的にデモやセミナに尽力してくれたMentor Graphicsに決まりました。

当時、CAEシステムはワークステーションがプラットフォームです。システム価格はロールスロイスやベントレーの上位モデルが余裕で買えてしまいます。7人の部署全員の年間給与一年分を超える導入コストは、バブル経済のまっただ中とは言え、社長には渋い顔をされたようです。
結局、導入したのは一台のHP/Apolloワークステーション上に、回路図入力を含むシミュレータ「Idea Station」、PCBアートワークの「Board Station」、更にオプション製品のLogic Modeling Systems社の標準ロジックのシミュレーヨンモデル「Smartparts」でした。
M&Aとツールラインナップ変化の激しいEDA業界です。上記何れの製品も現在は存在しません。ワークステーションもSpark(Sun Microsystems、Oracleが吸収合併)やPA RISC(HP)のような独自プロセッサの優位性はなくなり、いわゆる86、64アーキティクチャによってPCと一本化されました。
HP/Apolloは、HPに吸収されたApollo Computerの68Kプロセッサ・ワークステーション最終製品です。BSD系のDomain OS最終製品でもあります。

このCAEシステム導入は、私にとっては非常に良い経験となりましたが、経営的に成功だったのかは疑問が残ります。部署マネージャの意向でPCBアートワークまで導入しましたが、一台のワークステーションで全ての業務をこなすことは無理があります。結局バイク通勤の私は、事務所に誰も居ない深夜1時に出社して、終電で帰る他のメンバーとワークステーションをタイムシェアする必要がありました。
ボードレベルシミュレーションは、現実的でないことがわかりました。標準ロジックのモデルが有ったとしても、ASSPのモデルは有りません。これを解決する、実チップを使ったHardware Modelerという装置が当時存在しましたが、ロールスロイスがもう一台必要です。
また、PCBアートワーク設計にはそれに即したトレーニングとセンスが必要です。部署の一人が専任でアートワーク設計にあたりましたが、彼の望むキャリアパスではなかったようです。それまで外部に発注していたアートワーク屋さんに任せ、設計整合性確認や、工程のフィードバック手法を別に考えるべきでした。

基板改版が多いという課題は、現在ではFPGAが解決しています。ロジックを極力FPGAに内包する方向で、ボードレベルの手直しは最小になりました。当時は、まだ十分な速度と規模を持つFPGAと、満足な開発環境が存在しませんでしたが、プログラマブルロジックへのシフトが、今から考えれば正しいパスだったと言えます。
そして、EDA環境はロールスロイスからロードバイク(自転車)へと、その価格帯をシフトしたのが現状です。
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